2024 A/W collection「悪夢」
2024.08.25
2024.08.24 (土)
2024 A/W インスタレーション「悪夢」
ご来場の皆様へ
インスタレーションへのご来場ありがとうございました。
ご覧いただき嬉しいです。
このインスタレーション企画が立ち上がったのが4月、
思えば、マジな気持ちでした。
閉幕した今はこのインスタレーションの言葉による解説などと思いつつ、
言葉で説明するほどの野暮はありません。
し、
実はこれ開催前の22日に書いています。
ここではありがとうの挨拶として数日前に書いていた気概ガッツメモと、
本来見せるものではないと思っていた演者たちに配った、
演じてほしいその人間像のいわゆるト書きをお披露目いたします。
- メモ -
「今回、寺尾さんに演者をお願いしつつその時にはもうすでにこのインスタレーションのテーマソングを「魔法みたいに」にしたいと思っていた。
「魔法」?
僕も「魔法」を望んでいるが皆が「魔法」と聞いて果たしてその「魔法」の有り様を具体的に想像できるだろうか?
杖をクルクル回し呪文を唱える?
おぬしの願いを3つまで叶えてあげよう、と?
「魔法みたいに」の「魔法」は目に見えない。
今現在この目に見えない事が実はすごく大事な気がしている。
この情報クイックな世の中でいかにそれを分かり理解した気分になれるかが(コスパ?)一部にて尊ばれているが、
分かった「気分」ならばそれは要らない。
人は情報知識ではなく自分自身が分かると思えるまで今、
考えるべきだ。
感じるまで考える。
その到達地点がその人自身だ。
絵画が分からない。
ストリートファッションが分からない。
ワインが分からない。
戦争が分からない。
恋人が分からない。
それを知りたいなら分からないは最高だ!
この曲をテーマソングであることはナイーブすぎると思ったので人には言わないつもりだ。
会場で歌う彼女が「悪夢」が「魔法」であることを奏で教えてくれる筈だ。
演者は皆考えている。
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Takako / Hiroko
光と影。
実像と虚像、
本当と嘘。
とは。
例えば人間ならその本人が実像でその足元から横たわるその人の影は虚像、
か?
しかしその影はその本人と全く同じ動きをし、
とにかくその本人が居ない限り存在しない可視化できない、
虚と言いながら。
では人間で言うと虚像はどれか?
レントゲン写真の骨格は?
部屋に漂うその人の雰囲気は?
zoomでモニターに映る人は?
スマホの会話のひとは?
全て虚像じゃん!
しかし現代社会の生活では本人の存在は実はその虚像で成り立ち、
虚像が存在を示し社会生活を営んでいる。
虚像としか会えなくなりむしろそれを便利と思う都会の昨今。
私は、
私とはどこまでか?を考え過ぎて時々虚空を見つめてしまう。
この前久しぶりに人とキスをした。
実像は体温であり匂いであり眼差しだ。
大切な人だけでもなるべく実像に会いたいと思う。
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Riku
何に怒りと焦りがあるのか?
何に?
ひとつではなく一言では言えない。
自分のこの先のこと、
さっきの知人からのLINEのこと、
今月末の家賃のこと、
うまく行っていた話が何だか怪しくなってきたこと、
知人がインスタにあげた呑み会写真のあの娘のヘソ、
戦争とオリンピック、
最近飲み過ぎていること。
部屋でひとりで、
苛立ちを激しく表現してしまう夜もある。
さっきは知らぬ間に唸っていたし、
友人のLINEに対して大きなため息。
次第に出てくる汗にイライラしタオルを叩きつける。
数ある怒りと焦りが内心で図形となり数を増し停滞や流動、
拡散や集合を始める。
心の天気図?
矢印の群生?
ときにそれらはぶつかり合流したり、
徒党を組んで仲間外れを作ったり、
クラッシュしバラバラになったり、
雌を求める微生物になったり。
頭にハッキリとうごめくこの動画。
サイケデリックとも言えるトリップ状態。
このハッキリと見えている心象風景が、
目で見えているのか?
頭の中でも見えているのか?
想像し理解できず又してもイライラ。
夜が明ける頃に少し寝落ち。
夢の中ではいよいよこのサイケデリック空間で私は流され渦巻かれ飲まれ翻弄され呼吸もままならない土左衛門となるのだ。
僕はこの先社会人としてやっていけるのか?
社会人?
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Saho Terao
私が作った音楽は、
リリースされ人々の日常に染み込んでいけばその時点である意味その人々のもの。
私の入り込む余地は無いと言っていいほど。
私の音楽をその人々がいかように解釈するもその人々の日常の出来事からくる心動とセッションすることで、
その歌の解釈の多様性を期待する。
とはいえ昨夜の夢の始まりは少し苦痛で。
ある歌にまつわるその夢。
作者の私が悲しみと鎮魂の、
大雨の中で全身から悲しみを滴らせピアノを弾き歌うような、
心濡れそぼるイメージの哀愁歌がある。
その夢はライブで場所は何故だか山の中にある近代的な大きなホール。
秋の雨がずーっと降っている最近を理由に、
この哀愁歌スタートで歌い始めることを決め、
開演時には華美な演出を控えるようプロモーターに伝えた。
いざ開演。
幕をくぐりホールのステージに立てば、
「えっ…。」
と立ち止まり振り返ってしまうほどの過剰なライトと光り物での演出。
しかもかなり人工的で。
歌い出しの曲を変えようと心落ち着かせるも今この瞬間にこの場を読んだそれこそ迎合するような歌は思いつかない。
えー、と焦る。
いや、
ここでこの歌を歌うことで起きる新たなムード、
予定不調和からの良い意味での掛け算効果が生まれるのではないか?
私は何もなかったかのように客席も見ずに歌い出した。
先に書いた自分の個人的な制作と、
人々の日常とのセッションの話、
ライブはその間を、
私個人と人々の日常が混在し絡み合いえもいわれぬ、
霊気とさえ言えるほどの磁場を作ることがある。
私の歌に力があるからと言いたいが、
私はやはり人々に向けて歌を作っているからだろう。
聴いてくれる人々に。
ささやかながらも期待を込めて。
その夢は歌い出し中ばで目が覚めてしまい、
観客の様子は計り知ることなく朝を迎えた。
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Kana Osawa
「あなた達の可能性」と昨日先生は言った。
その私たちの可能性とは誰か知ってるの?
先生が知っているなら教え導いて欲しいが、
聞けば「やってはいけない」ことを言ってくるばかり。
私はその「やってはいけないこと」に「あなた達の可能性」があるように思えてならない。
昨晩ニュースで人里に降りてきてしまう野生の熊の話題を見た。
めちゃ怒ってる罠にかかった野生の熊。
首を振り同じ動作をくりかえしている。
熊?
熊ってあのハチミツ好きなキャラクターの可愛いあれだよね?
可愛いぬいぐるみのあのベアーたよね?
熊でYouTubeで検索すると出てくる出てくる、
野生の熊の凶暴性。
怖いマジ。
え?
あのハチミツを求めて笑い合うあの熊は?
ぬいぐるみのあのテディなベアーは?
私達が目指すべき大人が作った可愛らしさ?
先生が言う「あなた達の可能性」とはそこ?
私はあの野生の熊が持つ本能剥き出しの熊が好きだ。
ニュースで見た人里に降りてきて罠にかかった熊。
檻に入れられて不自由で、
よだれを垂らし右往左往。
上目遣いの目ヤニだらけの目は悲しく澄んでいる。
その周りを囲む、
猟銃を持ち日焼けした、
誇らしげな満面の笑みの白い歯のおじさん達。
肩組んで勝った感モリモリ。
人間て偉いの?
あるゲームをしていて、
丸をつなげただけの熊のキャラが出てきて手足をばたつかせて目をハートにした。
あー、
私はそのゲームをやめてしまった。
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Kenichi
椅子に座り紅茶を飲みながら、
そのテーブルに積み上げた様々のアルバムをゆっくり見ていている。
アルバムには親族家族や友人の写真。
行楽、冠婚葬祭、飲み会、出会に別れ。
楽しい写真ばかりではないが、
どれも懐かしく昨日のことのようで、
思わず思い出し笑い。
かつてを懐かしむことで今の自分の生活に満面なる満足を実感しつつ、
過ぎた時間に一抹の寂しさも。
過ぎた時間を思えばそれはもう取り戻せず、
ましてや時間は平等に過ぎ、
皆時を同じくして年老いてゆく。
孫が産まれた時はずっとこの新生児のままでいて欲しいと思ったものだが、
今や彼女は立派な社会人である不思議。
この不思議の走馬灯は、
皆時を同じくして年老いてゆく自然現象の恩恵といえる。
とはいえ、
孫には相変わらず今のままでいて欲しいと思ってしまう可笑しさ。
片やアルバム写真で微笑む皆の時間は固定され流れを留め止まりここで微笑む。
これこそ私が思い求める「このままでいて欲しい」のありようだ。
老いてゆく私の望む「このままでいて欲しい」が叶った固定された時間。
やがて彼らは写真から出てきて私に話しかけ、
せがんだりけしかけたり、
手招きしたり走って逃げたりする。
あたかもあの頃の私にするようにそれをするが、
それを受け止める私は今の私だ。